猛烈に暑い

 六月十八日。日曜日。 晴れ。暑い日だ。猛烈に暑い。日曜で、朝寝をしていたかったのだが、暑くて寝て居られない。八時に起きた。すると郵便。春秋座。 第一の関門は、パスしたのだ。当り前のような気もしたが、でも、ほっとした。通知の来るのは、あすか、あさっての事だろうと思っていたのだが、やっぱり幸福は意地悪く、思いがけない時にばかりやって来る。 七月五日、午前十時より神楽坂《かぐらざか》、春秋座演技道場にて第一次考査を施行する。第一次考査は、脚本朗読、筆記試験、口頭試問、簡単な体操。脚本朗読は、一つは何にても可、受験者の好むところの脚本を試験場に持参の上、自由に朗読せられたし。但《ただ》し、この朗読時間は、五分以内。他に当方より一つ、朗読すべき脚本を試験場に於《おい》て呈示する。筆記試験には、なるべく鉛筆を用いられたし。体操に支障無きようパンツ、シャツの用意を忘れぬ事。弁当は持参に及ばず。当道場に於て粗飯を呈す。当日は、午前十時、十分前に演技道場控室に参集の事。 相変らず、簡明である。第一次考査と書いてあるが、それでは、この試験に合格してもまだ第二次、第三次と考査が続くのであろうか。ずいぶん慎重だ。けれども、俳優として適、不適を決定するのには、これくらいの大事をとるのが本当かも知れない。会社や銀行へ就職する場合とは違うのだ。無責任な審査をして出鱈目《でたらめ》に採用しても、その採用された当人が、もし俳優として不適当な人だったら、すぐ又お隣りの銀行へという工合《ぐあい》に、手軽に転職も出来ず、その人の一生が滅茶滅茶《めちゃめちゃ》に破壊されてしまうだろう。どうか大いに厳重に審査してもらいたいものだ。鴎座のようでは、合格したって、不安でいけない。こちらは何もかも捨ててかかっているのだ。無責任な取扱いを受けてはたまらない。 脚本朗読、筆記試験、口頭試問、体操、と四種目あるが、その中でも自由選択の脚本朗読というのが曲者《くせもの》だ。ちょっと頭のいい審査方法だと思った。何を選ぶかという事に依《よ》って受験者の個性、教養、環境など全部わかってしまうだろう。これは難物だ。試験までには、まだ二週間ある。ゆっくりと落ちついて、万全の脚本を選び出そう。兄さんともよく相談して決定しよう。兄さんは、四、五日前から九十九里のお母さんのところへ見舞いに行って、今晩か、明晩、帰京する事になっている。ゆうべ兄さんから葉書が来た。お母さんは、一週間ほど前ちょと熱を出したのだが、もう熱もさがっていよいよ元気。杉野女史は、まっくろに日焼けして、けろりとして働いているそうだ。兄さんは、また杉野さんに泣かれるかも知れんなどと冗談を言って出発したのだが、なんという事もなかったようだ。どうも、兄さんは甘い。 夜、木島さんとおシュン婆さんと僕と三人がかりで、変なアイスクリイムを作って食べていたら、ベルが鳴って、出てみると、木村のお父さんが、のっそり玄関先に立っていた。「うちの馬鹿《ばか》が来ていませんか。」と意気込んで言う。

— posted by id at 05:57 pm  

T: Y: ALL: Online:
Created in 0.1868 sec.

http://crystal-wings.net/