やや充実した日だった

 五月十一日。木曜日。 曇。風強し。きょうは、やや充実した日だった。きのうの僕は幽霊だったが、きょうは、いくぶん積極的な生活人だった。学校の聖書の講義が面白かった。毎週一回、寺内神父の特別講義があるのだが、いつも僕には、この時間が、たのしみなのだ。先々週の、木曜の講義も面白かった。「最後の晩餐《ばんさん》」の研究なのだが、晩餐の十三人が、それぞれ食卓のどの位置についていたか、図解して、とても明瞭《めいりょう》に教えてくれた。そうして十三人全部が、寝そべって食卓についたというのだから驚いた。当時の風習として、食卓のまわりに寝台があって、その寝台にそれぞれ寝そべって飲食したのだそうである。ダヴィンチの「最後の晩餐」は、事実とは違っていたわけである。ロシヤのゲエとかいう画家のかいた「最後の晩餐」の絵は、みんな寝そべっているそうである。キリストの精神とは、全く関係の無い事だが、僕には、とても面白かった。どうも僕は、食べることに関心を持ちすぎるようだ。きょうもやっぱり、食べる事に就いて考えて、けれども、之は、あながちナンセンスに終らなかった。多少、得るところがあった。きょうは、寺内師は、旧約の申命記を中心にして講義した。寺内師は、決して、教壇に立って講義はしない。空《あ》いている学生の机に座席をとって、学生と一緒に勉強するような形で、くつろいで話をする。それが、とてもいい感じだ。みんなと楽しい事に就いて相談でもしているような感じだ。きょうは、申命記を中心にして、モーゼの苦心を語ってくれたが、僕はその中でも、モーゼが民衆のたべ物の事にまで世話を焼いているのを興味深く感じた。「十四章。汝《なんじ》穢《けがら》わしき物は何も食《くら》う勿《なか》れ。汝らが食《くら》うべき獣蓄《けもの》は是《これ》なり即《すなわ》ち牛、羊、山羊《やぎ》、牡鹿《おじか》、羚羊《かもしか》、小鹿、※[#「鹿+嚴」、U+9EA3、148-1]《やまひつじ》、※[#「鹿/章」、第3水準1-94-75]《くじか》、麈《おおじか》、※[#「塵」の「土」に代えて「君」、U+9E8F、148-1]《おおくじか》、など。凡《すべ》て獣蓄《けもの》の中蹄《うちひづめ》の分れ割れて二つの蹄を成せる反蒭獣《にれはむけもの》は汝ら之《これ》を食《くら》うべし。但《ただ》し反蒭者《にれはむもの》と蹄の分れたる者の中《うち》汝らの食《くら》うべからざる者は是なり即ち駱駝《らくだ》、兎《うさぎ》および山鼠《やまねずみ》、是らは反蒭《にれはめ》ども蹄わかれざれば汝らには汚《けが》れたる者なり。また豚是は蹄わかるれども反蒭《にれはむ》ことをせざれば汝らには汚《けがれ》たる者なり、汝ら是等《これら》の物の肉を食《くら》うべからず、またその死体《しかばね》に捫《さわ》るべからず。 水におる諸《もろもろ》の物の中是《うちかく》のごとき者を汝ら食《くら》うべし即ち凡て翅《ひれ》と鱗《うろこ》のある者は皆汝ら之を食《くら》うべし。凡て翅と鱗のあらざる者は汝らこれを食《くら》うべからず是は汝らには汚《けがれ》たる者なり。 また凡て潔《きよ》き鳥は皆汝らこれを食《くら》うべし。但し是等は食《くら》うべからず即ち※[#「蜩のつくり+鳥」、第3水準1-94-62]《わし》、黄鷹《くまたか》、鳶《とび》、※[#「顫のへん+鳥」、第3水準1-94-72]《はやぶさ》、鷹《たか》、黒鷹の類《たぐい》、各種《もろもろ》の鴉《からす》の類《たぐい》、鴕鳥《だちょう》、梟《ふくろ》、鴎《かもめ》、雀鷹《すずめたか》の類《たぐい》、鸛《こう》、鷺《さぎ》、白鳥、※[#「澤のつくり+鳥」、U+9E05、148-9]※[#「虞+鳥」、U+9E06、148-9]《おすめどり》、大鷹、※[#「滋のつくり+鳥」、第3水準1-94-66]《う》、鶴《つる》、鸚鵡《おうむ》の類《たぐい》、鷸《しぎ》および蝙蝠《こうもり》、また凡て羽翼《つばさ》ありて匍《はう》ところの者は汝らには汚《けがれ》たる者なり汝らこれを食《くら》うべからず。凡て羽翼《つばさ》をもて飛《と》ぶところの潔《きよ》き物は汝らこれを食《くら》うべし。 凡そ自《みずか》ら死《しに》たる者は汝ら食《くら》うべからず。」

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